「エレジー(悲歌)の女王」として知られている
歌手の菅原都々子さん。
菅原さんの引退理由は?
ヒット曲なども書いていきます。
菅原都々子さんの引退理由は?真相。
菅原都々子(すがわら つづこ)さんは
1937年にデビューしました。
数々のヒット曲を出した後
2006年12月31日 に テレビ東京「年忘れにっぽんの歌」に出演し
70年に及ぶ現役歌手としての活動を卒業しました。
その後はボランティアとしての歌手活動に切り替え
各施設を回り歌を届けているようです。
菅原都々子さんの由来とヒット曲・名曲や生年月日は?
菅原都々子さんは1927年(昭和2年)8月5日生まれです。
本名は永松 都々子(ながまつ つづこ)さん。
旧姓は菅原。
非常に個性的なビブラート唱法が特徴です。
「NHK紅白歌合戦」の記念すべき歌唱者第1号として知られています。
菅原都々子さんは青森県上北郡三本木町に生まれました。
父は浅草オペラ歌手の河合丸目郎で、後に作曲家となる陸奥明さんです。
9歳の時にオーディションのために1人で上京させられて
その際に古賀政男さんに認められたことから
「古賀久子」の名をもらい養女となりました。
1937年 養父・古賀さんが作曲した『お父さんの歌時計』でデビューし
同時に実父の陸奥さんも作曲家として上京しました。
1940年 養子縁組を解消し
父・陸奥さんのもとにもどって「菅原都々子」として再デビューしました。
主なヒット曲は
片割れ月
憧れの住む町
アリラン
トラジ
江の島悲歌
連絡船の唄
母千鳥の唄
憧れは馬車に乗って
琵琶湖の宿で恋をして
佐渡ヶ島悲歌
恋のこけし人形
夢去りし丘
江の島夜曲
上海エレジー
悲恋椿
博多エレジー
胸に哀しい灯がともる
江の島月夜
海峡エレジー
月がとっても青いから
木浦の涙
セトナ愛しや
島を出てゆく片帆船
特に1955年の「月がとっても青いから」は
現在の市場規模の30分の1の時代、100万枚を超える大ヒットとなり
この曲で菅原都々子の歌手としての地位は不動のものとなりました。